ハワイプランテーションビレッジへ
今日一日、各々好きなところへ行くことにした。
くうみんは、先日行きそこなったハワイプランテーションビレッジに行くことにした。
ワイキキからEXP.Eのバスに乗る。乗り場はJCBのサービスカウンターで聞いた、クヒオ通りにあるホテルロイヤルクヒオの前から乗る。
ここから1時間ほどでワイパフと言うバス停に着くので、そこからまたバスに乗り継いでいく。いくら乗っても2ドル50セント。
しまった。乗るときにトランスファーチケットを貰うのを忘れた。これがあれば2時間以内、2回まで乗り換えができるのに、また2ドル50セント払わなきゃならない。「地球の歩き方」によると、降りるときにくれと言っても嫌な顔をされるだけだそうだ。やむを得ん。
乗り換えのバス停に色黒なオバ、二人がいたので、そのうちの一人に「ハワイプランテーションビレッジに行くのはここでいいのか」と聞くと、「ここです」と答えてくれた。
「すみません、細かいのがないんで両替できますか?」
と言ったら、1ドル札を細かいお金に崩してくれた。バスが来た。43番のバスだ。オバはくうみんに話しかけてきた。
「コリアか?」
「いえ、日本人です」
コリアに見られるようになったか。ガングロがだいぶ治ってきたらしい。以前はマレーシアにしか見られなかった。オバは降りるところを教えてくれた。
「ありがとう」
礼を言ってバスを降りる。親切なオバだ。
ハワイプランテーションビレッジには、おじさんと来たことがある。今のようにバスに乗って行った。しかし、もっと観光客がいたはずだ。今日はくうみん以外誰もいない。事務所に行って入場料15ドルを払った。
「日本人か?」
「はい」
「お~い、kさん、案内してやってくれ」
kさんは日系3世だそうだ。仕事をリタイアして、ここで案内のボランティアをしているそうだ。日系人だからと言って日本語が話せる訳ではない。やはり日本人であるという意識の高い家庭でないと、日本語を話せなくなる。kさんの子供たちも日本語学校に通い、柔道を習ったと言う。
kさんも日本語より英語の方が得意らしい。日本語だと発音は完ぺきなものの、何か言葉を選んでいるようなところがある。
そのうち天理大の学生たちが到着した。若いこの人たちに交じって説明を聞いた。
ここではサトウキビの収穫のために各国から労働者を集めた。ポルトガル人は白人なので他の民族より給料が良かったとか、韓国は当時日本の一部だったので韓国人は日本のパスポートで入国してきたとか。
そして沖縄も日本のパスポートで来るのだが、沖縄県と日本は別の国としてとらえられていたとか。歴史を感じて興味深い。

中国人料理館内部 新しく見えるが、100年くらい前の建物だそうだ

このころ日本は貧しかった。日本人村
ここでは民族ごとに住まわせた。日本人は日本人村、フィリピン人はフィリピン村というように。
住む方としてもその方が楽だし心強く思うのだが、これは雇う側にも都合がよかったのだ。お互いの民族で言葉がわからないようにすれば、団結することもない。
ここでは住居もタダ、水道光熱費ももちろんタダで、ほとんどお金のかからない暮らしだったそうだ。
しかしこれも労働者を腑抜けにするための方策だったと言う。

韓国人の住居

沖縄県人の住居

フィリピン人の住居

若宮稲荷神社

銭湯。日本人はなんたってお風呂!!ハワイだって、大きなお風呂がなきゃ

床屋では主に日本人女性が理容師として働いたと言う。ここにはいろいろな民族のお客さんが来たらしい
そのほか、豆腐屋もあったそうだ。
労働者は圧倒的に男性が多く、初期に来た中国人はハワイの原住民の女性と結婚した。ハワイの原住民は世界からくる移民の持ち込んだ病気で人数が少なくなったので、あとから来た日本人や韓国人は、国にお見合い写真を送って花嫁に来てもらったそうだ。
中には若いときの写真を送ると言う反則技をする人もいて、
「ぎゃ~!!」
と、叫ぶ女性(逆もあったと思う)もいたと言う。

これだ!これ、爺さんと孫娘じゃないんだよ!若い頃の写真を送ったじじいに騙されてやってきたかわいそうな若い娘。帰るに帰れなくて、ぎゃ~~!!のち、トホホ…だっただろうなあ
なかなか楽しい一日だった。さて、帰ろう。
バス停で10分ほど待っていたら、バスが来た。おお、ちょうど良かった、と立ち上がってバスを待っていたら、バスはそのままくうみんの前を素通りした。
えっ、あのバス止まらないの?ウソ~。
仕方ないので次のバスを待つことに。1時間後、やっと来たので、今回は必ず乗れるよう、当たり屋もかくや、とバスの前に立ちはだかった。
よかった、乗れた。トランスファーチケットも今回は忘れずにもらった。
ワイパフで乗り換え、バスはワイキキに近づいて行ったが、どこで降りればいいのかわからない。ああ、どうしよう。私、何もわからないんですと言うオーラが立ち上っていたのか、向かいに座っていた日本人男性が、
「どこで降りるんですか?」
と聞いてくれた。
「あの、ロイヤルハワイアンに泊まっているんですが、その近くで」
「大丈夫、教えますよ。いいホテルにお泊りですね」
「はい、姪の結婚式の招待ですので…」
ちょこっと話をした。話によるとサーフィンが好きで年に2カ月ほどはここに滞在すると言う。仕事はリタイアしているらしいが、そんな生活ができるのはお金持ちなんだろう。
「ここで降りて、この道をまっすぐに行けばホテルはすぐですよ」
「ありがとうございます」
くうみんがおじさんなしでハワイに来たのは今回が初めてだが、おじさんは生前、くうみんなしでハワイに来たことがあった。顧問先の社員旅行にくっついて行ったのだと記憶している。
その時もおじさんはみんながゴルフをするときに、一人でプランテーションビレッジに来たらしい。
日本人の家の、ちゃぶ台にアルミの弁当箱が置いてあって、ふたにある、長くくぼんだ所、これは何だろうといぶかる外国人がいたので、
「ここに箸を収納するんですよ」
と、教えたと得意げに話していたっけ。
人の家に上がって当時の生活を覗き見るような、そんな物珍しさが、おじさんもくうみんも気に入ったんだと思う。今回もおじさんがいたらきっと、一緒に来たと思う。
二人で来たのは一度だけ。私がまたここに来るとしたら、今度は誰と来るんだろう?また一人で?
おじさんはいない、それだけは確かだ。
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くうみんは、先日行きそこなったハワイプランテーションビレッジに行くことにした。
ワイキキからEXP.Eのバスに乗る。乗り場はJCBのサービスカウンターで聞いた、クヒオ通りにあるホテルロイヤルクヒオの前から乗る。
ここから1時間ほどでワイパフと言うバス停に着くので、そこからまたバスに乗り継いでいく。いくら乗っても2ドル50セント。
しまった。乗るときにトランスファーチケットを貰うのを忘れた。これがあれば2時間以内、2回まで乗り換えができるのに、また2ドル50セント払わなきゃならない。「地球の歩き方」によると、降りるときにくれと言っても嫌な顔をされるだけだそうだ。やむを得ん。
乗り換えのバス停に色黒なオバ、二人がいたので、そのうちの一人に「ハワイプランテーションビレッジに行くのはここでいいのか」と聞くと、「ここです」と答えてくれた。
「すみません、細かいのがないんで両替できますか?」
と言ったら、1ドル札を細かいお金に崩してくれた。バスが来た。43番のバスだ。オバはくうみんに話しかけてきた。
「コリアか?」
「いえ、日本人です」
コリアに見られるようになったか。ガングロがだいぶ治ってきたらしい。以前はマレーシアにしか見られなかった。オバは降りるところを教えてくれた。
「ありがとう」
礼を言ってバスを降りる。親切なオバだ。
ハワイプランテーションビレッジには、おじさんと来たことがある。今のようにバスに乗って行った。しかし、もっと観光客がいたはずだ。今日はくうみん以外誰もいない。事務所に行って入場料15ドルを払った。
「日本人か?」
「はい」
「お~い、kさん、案内してやってくれ」
kさんは日系3世だそうだ。仕事をリタイアして、ここで案内のボランティアをしているそうだ。日系人だからと言って日本語が話せる訳ではない。やはり日本人であるという意識の高い家庭でないと、日本語を話せなくなる。kさんの子供たちも日本語学校に通い、柔道を習ったと言う。
kさんも日本語より英語の方が得意らしい。日本語だと発音は完ぺきなものの、何か言葉を選んでいるようなところがある。
そのうち天理大の学生たちが到着した。若いこの人たちに交じって説明を聞いた。
ここではサトウキビの収穫のために各国から労働者を集めた。ポルトガル人は白人なので他の民族より給料が良かったとか、韓国は当時日本の一部だったので韓国人は日本のパスポートで入国してきたとか。
そして沖縄も日本のパスポートで来るのだが、沖縄県と日本は別の国としてとらえられていたとか。歴史を感じて興味深い。

中国人料理館内部 新しく見えるが、100年くらい前の建物だそうだ

このころ日本は貧しかった。日本人村
ここでは民族ごとに住まわせた。日本人は日本人村、フィリピン人はフィリピン村というように。
住む方としてもその方が楽だし心強く思うのだが、これは雇う側にも都合がよかったのだ。お互いの民族で言葉がわからないようにすれば、団結することもない。
ここでは住居もタダ、水道光熱費ももちろんタダで、ほとんどお金のかからない暮らしだったそうだ。
しかしこれも労働者を腑抜けにするための方策だったと言う。

韓国人の住居

沖縄県人の住居

フィリピン人の住居

若宮稲荷神社

銭湯。日本人はなんたってお風呂!!ハワイだって、大きなお風呂がなきゃ

床屋では主に日本人女性が理容師として働いたと言う。ここにはいろいろな民族のお客さんが来たらしい
そのほか、豆腐屋もあったそうだ。
労働者は圧倒的に男性が多く、初期に来た中国人はハワイの原住民の女性と結婚した。ハワイの原住民は世界からくる移民の持ち込んだ病気で人数が少なくなったので、あとから来た日本人や韓国人は、国にお見合い写真を送って花嫁に来てもらったそうだ。
中には若いときの写真を送ると言う反則技をする人もいて、
「ぎゃ~!!」
と、叫ぶ女性(逆もあったと思う)もいたと言う。

これだ!これ、爺さんと孫娘じゃないんだよ!若い頃の写真を送ったじじいに騙されてやってきたかわいそうな若い娘。帰るに帰れなくて、ぎゃ~~!!のち、トホホ…だっただろうなあ
なかなか楽しい一日だった。さて、帰ろう。
バス停で10分ほど待っていたら、バスが来た。おお、ちょうど良かった、と立ち上がってバスを待っていたら、バスはそのままくうみんの前を素通りした。
えっ、あのバス止まらないの?ウソ~。
仕方ないので次のバスを待つことに。1時間後、やっと来たので、今回は必ず乗れるよう、当たり屋もかくや、とバスの前に立ちはだかった。
よかった、乗れた。トランスファーチケットも今回は忘れずにもらった。
ワイパフで乗り換え、バスはワイキキに近づいて行ったが、どこで降りればいいのかわからない。ああ、どうしよう。私、何もわからないんですと言うオーラが立ち上っていたのか、向かいに座っていた日本人男性が、
「どこで降りるんですか?」
と聞いてくれた。
「あの、ロイヤルハワイアンに泊まっているんですが、その近くで」
「大丈夫、教えますよ。いいホテルにお泊りですね」
「はい、姪の結婚式の招待ですので…」
ちょこっと話をした。話によるとサーフィンが好きで年に2カ月ほどはここに滞在すると言う。仕事はリタイアしているらしいが、そんな生活ができるのはお金持ちなんだろう。
「ここで降りて、この道をまっすぐに行けばホテルはすぐですよ」
「ありがとうございます」
くうみんがおじさんなしでハワイに来たのは今回が初めてだが、おじさんは生前、くうみんなしでハワイに来たことがあった。顧問先の社員旅行にくっついて行ったのだと記憶している。
その時もおじさんはみんながゴルフをするときに、一人でプランテーションビレッジに来たらしい。
日本人の家の、ちゃぶ台にアルミの弁当箱が置いてあって、ふたにある、長くくぼんだ所、これは何だろうといぶかる外国人がいたので、
「ここに箸を収納するんですよ」
と、教えたと得意げに話していたっけ。
人の家に上がって当時の生活を覗き見るような、そんな物珍しさが、おじさんもくうみんも気に入ったんだと思う。今回もおじさんがいたらきっと、一緒に来たと思う。
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