一部修正 ホルモン剤をやめてみる くうみんはカッコウの巣の上で考える
漢方薬でかなり改善したものの、2、3ヶ月前からまたホットフラッシュが酷くなって、病院の怪人こと福島先生にも薬を変えてもらいました。しかし、やはりあまり変化がなく、それに記憶力の低下、考える力がなくなるという副作用も出てきて、もうこれ以上飲みたくない、嫌だという気持ちが大きくなりました。それを福島先生に言いました。
「僕はホルモン剤をやめていいかどうかなんて決められないよ。角南先生が決めることだよ」
先生は少しむっとした口調で言います。
「ええ、でも先日、角南先生はやめてもいいといってくれたんです」
もう、知らないからね、という感じで言います。
「僕は漢方薬だけ出すから、ホルモン剤は角南先生に出してもらいなさい」
「はい、判りました、へへ~」
笑ってごまかすくうみん。
福島先生も他の先生方も、良かれと思ってしているのはわかります。でも、この病気の治療で辛いのを我慢してよかったことなんて何もないとくうみんは思っているのです。
抗癌剤では心肺が悪くなってしまったし、爪や皮膚も弱くなりました。生存率向上も数字のマジックにしてやられました。
そんなことはない、苦しんだ自分を褒めてあげたい、そういう人もいると思います。でも、現代医学に疑問を持っているくうみんは素直になれないのです。
生存率さえあがればそれでいいのか?そもそもくうみんはこれらの治療をして命が延びたのか?
そして、短くても快適ならいいという考え方もあるのではないか?そうも思うのです。
くうみんは「カッコウの巣の上で」という映画を思い出しました。かなり前にビデオを借りて見たのです。
舞台はとある精神病院。そこにクリントイーストウッドふんする主人公が入院してきます。窮屈な規則だらけの生活に抵抗して皆を扇動して集団脱走、ヨットで遊びます。何かと反抗的な態度をとり、女性看護師(だったか)に怪我を負わせてしまいます。一部の病院スタッフは
「こんなやつ面倒見切れない。追い出そう」
と、言うのですが、怪我をした女性看護師は
「ああいった人を最後まで面倒を見るのが私たちの役目」
と、退院させません。
主人公はそのうちロボトミー手術をされて廃人になります。その姿を見た親しくしていたインディアン(今はネイティブアメりカンというのですか?)の患者は寝ている主人公の首を絞めて殺します。なぜ殺した?たぶんこんな姿で生きているのを見ていられなかったから。自分ならこうして生きていたくないから。くうみんが、父の治療を拒否したのと同じように。
インディアンは朝日の昇る中、病院を脱走します。自由に向かって!
最後まで面倒を見ようというこの看護師の気持ちはりっぱです。でもそれが患者にとって本当にいいことなのかと言えばわからなくなります。
主人公を殺したインディアンはしたことは反社会的ではあります。しかし、主人公の意思に反してロボトミーをした病院側は反社会的ではないのか?
先生方は映画の中の病院のスタッフです。一生懸命してくれます。でも、それがくうみんに本当にいいことなのか、判らなくなってきました。
信念を持ってこれでいいと、確信している訳ではありません。とりあえず、苦しみから逃れたい。それが一番正直な所です。
今日からホルモン剤を飲みません。これからどうするか、またゆっくり考えます。
朝日の中を脱走するインディアンになりたいとくうみんは思っています。
クリックいただければ幸いです。

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「僕はホルモン剤をやめていいかどうかなんて決められないよ。角南先生が決めることだよ」
先生は少しむっとした口調で言います。
「ええ、でも先日、角南先生はやめてもいいといってくれたんです」
もう、知らないからね、という感じで言います。
「僕は漢方薬だけ出すから、ホルモン剤は角南先生に出してもらいなさい」
「はい、判りました、へへ~」
笑ってごまかすくうみん。
福島先生も他の先生方も、良かれと思ってしているのはわかります。でも、この病気の治療で辛いのを我慢してよかったことなんて何もないとくうみんは思っているのです。
抗癌剤では心肺が悪くなってしまったし、爪や皮膚も弱くなりました。生存率向上も数字のマジックにしてやられました。
そんなことはない、苦しんだ自分を褒めてあげたい、そういう人もいると思います。でも、現代医学に疑問を持っているくうみんは素直になれないのです。
生存率さえあがればそれでいいのか?そもそもくうみんはこれらの治療をして命が延びたのか?
そして、短くても快適ならいいという考え方もあるのではないか?そうも思うのです。
くうみんは「カッコウの巣の上で」という映画を思い出しました。かなり前にビデオを借りて見たのです。
舞台はとある精神病院。そこにクリントイーストウッドふんする主人公が入院してきます。窮屈な規則だらけの生活に抵抗して皆を扇動して集団脱走、ヨットで遊びます。何かと反抗的な態度をとり、女性看護師(だったか)に怪我を負わせてしまいます。一部の病院スタッフは
「こんなやつ面倒見切れない。追い出そう」
と、言うのですが、怪我をした女性看護師は
「ああいった人を最後まで面倒を見るのが私たちの役目」
と、退院させません。
主人公はそのうちロボトミー手術をされて廃人になります。その姿を見た親しくしていたインディアン(今はネイティブアメりカンというのですか?)の患者は寝ている主人公の首を絞めて殺します。なぜ殺した?たぶんこんな姿で生きているのを見ていられなかったから。自分ならこうして生きていたくないから。くうみんが、父の治療を拒否したのと同じように。
インディアンは朝日の昇る中、病院を脱走します。自由に向かって!
最後まで面倒を見ようというこの看護師の気持ちはりっぱです。でもそれが患者にとって本当にいいことなのかと言えばわからなくなります。
主人公を殺したインディアンはしたことは反社会的ではあります。しかし、主人公の意思に反してロボトミーをした病院側は反社会的ではないのか?
先生方は映画の中の病院のスタッフです。一生懸命してくれます。でも、それがくうみんに本当にいいことなのか、判らなくなってきました。
信念を持ってこれでいいと、確信している訳ではありません。とりあえず、苦しみから逃れたい。それが一番正直な所です。
今日からホルモン剤を飲みません。これからどうするか、またゆっくり考えます。
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