実は大変な日々
介護施設にいるおじさん母が転倒したと報告があった。9月8日、日曜日のことで、病院は開いていないのでとりあえず救急車で受け入れてくれる病院を探したという。A病院に緊急入院した。
大したことはなかろうと、おじさんと一緒に病院に駆けつけるとなんと足を骨折していた。
手術は大掛かりなものだというし、手術しても元通りという訳には行かない。今までもそんなに歩けなかったから、車椅子生活は手術してもしなくても必至と思われた。なので手術はしないことにした。
くうみんがフィットネスクラブのサウナで仕入れた情報によると、A病院はものすご~く評判が悪かった。
「何を食べさせていたのかと思うくらい痩せて帰ってきた」
「褥瘡がひどい」
「救急車で担ぎ込まれたのがA病院とわかり、何とか理由を作って転院した」
ということで、なるべく早い退院を望み、9月27日、めでたく退院した。
「ああ、よかった」
と喜んだものの、おじさん母は自分でご飯を食べることができなくなっていた。認知はあったものの入院する前は自分で食べていたのに、病院ではキザミ食を食べさせて貰っていたので、すっかり自分で食べることを忘れてしまった。
施設側は
「車椅子で食堂に出られれば食事介助もできるが、自室で食事介助はできない。車椅子が来るまでは家族で食事介助して欲しい」
というのでおじさんの二人のお姉さんにも来てもらって、交代で食事を食べさせていた。
おじさん母はよくしゃべった。3度3度誰かが来るので嬉しくて仕方ないらしい。食事の方が留守になる。
「お母さん!お粥食べよう、お粥!」
「お母さん!料亭の味!う~ん、うまい!」
まあ、それでも30分から45分くらいで済むだろうか。
世の中一般の介護はこれだけでなくお下の世話や入浴その他で、もっと大変なのだ。人一人生きていくための作業というものは自分でやればすぐだけど、人にしてもらうのは大変なこと。
「ままごとみたいな介護だよな~」
でも、看取りまですると言っていたのに…寝たきりになったら出て行くしかないってことじゃない?
10月4日の夕方、待望の車椅子が来た。普通の車椅子ではない、リクライニングできる優れもので、レンタル料は月9千円もする。
車椅子に載せるのは3人がかり、どうもありがとうございます。
やれやれ、それじゃこれで失礼。と思ったら、
「これ、夕飯です。お願いします」
えっ、まだこっちでするの?今日は友達と待ち合わせしているからもう行かなきゃいけないんだけど。
「私がするから」
心優しいお姉さんが申し出てくれた。お願いします。
帰ろうとする背中にちょっと待ったコールがかかった。
「明日の朝食の介助もお願いしたいのですが」
「えっ、あ~、わかりました」
と言う訳で今日もおじさんと一緒に朝ご飯を食べさせに行った。入れ歯を手に持っている。せっかく入れてもらったのに自分で外してしまったのだ。
今日のメニューは、味噌汁とお粥、卵焼き、白菜と人参の煮物、梅醤。梅醤はかなり少量にしないと塩辛すぎるらしい。
「それじゃ、お茶飲もう」
汁物やお茶はストローで飲ませるとこぼさずに飲ませられる。
ほとんど完食、ふう、これで終わった。これで時間を気にせず、いつもの生活に戻れる。
やれやれと、食器を下げ、ロビーに出た。さあ、帰ろう、今日は祝杯だ。そう思っていたら、またもや背中にちょっと待ったコールが。
なんだかんだと理由を述べ立てていたが、要するに人手不足で3食全ては食べさせられない、特に夕食は職員も少なくなり、お世話できない。どうにか夕食時はご家族で食べさせて欲しい。
えっ、そんな。職員さんには感謝しています。こんな介護はままごとみたいなものだって、わかっています。だけど、話が違うじゃない。寝たきりになっても大丈夫だと言っていたじゃない。
今はイレギュラーな状態なので、仕方ないと夕食の介助は当分の間することになった。
でも、いつまでこんな状態じゃやってられないよ。
先の見えない不安。いつまで続くぬかるみぞ。
大したことはなかろうと、おじさんと一緒に病院に駆けつけるとなんと足を骨折していた。
手術は大掛かりなものだというし、手術しても元通りという訳には行かない。今までもそんなに歩けなかったから、車椅子生活は手術してもしなくても必至と思われた。なので手術はしないことにした。
くうみんがフィットネスクラブのサウナで仕入れた情報によると、A病院はものすご~く評判が悪かった。
「何を食べさせていたのかと思うくらい痩せて帰ってきた」
「褥瘡がひどい」
「救急車で担ぎ込まれたのがA病院とわかり、何とか理由を作って転院した」
ということで、なるべく早い退院を望み、9月27日、めでたく退院した。
「ああ、よかった」
と喜んだものの、おじさん母は自分でご飯を食べることができなくなっていた。認知はあったものの入院する前は自分で食べていたのに、病院ではキザミ食を食べさせて貰っていたので、すっかり自分で食べることを忘れてしまった。
施設側は
「車椅子で食堂に出られれば食事介助もできるが、自室で食事介助はできない。車椅子が来るまでは家族で食事介助して欲しい」
というのでおじさんの二人のお姉さんにも来てもらって、交代で食事を食べさせていた。
おじさん母はよくしゃべった。3度3度誰かが来るので嬉しくて仕方ないらしい。食事の方が留守になる。
「お母さん!お粥食べよう、お粥!」
「お母さん!料亭の味!う~ん、うまい!」
まあ、それでも30分から45分くらいで済むだろうか。
世の中一般の介護はこれだけでなくお下の世話や入浴その他で、もっと大変なのだ。人一人生きていくための作業というものは自分でやればすぐだけど、人にしてもらうのは大変なこと。
「ままごとみたいな介護だよな~」
でも、看取りまですると言っていたのに…寝たきりになったら出て行くしかないってことじゃない?
10月4日の夕方、待望の車椅子が来た。普通の車椅子ではない、リクライニングできる優れもので、レンタル料は月9千円もする。
車椅子に載せるのは3人がかり、どうもありがとうございます。
やれやれ、それじゃこれで失礼。と思ったら、
「これ、夕飯です。お願いします」
えっ、まだこっちでするの?今日は友達と待ち合わせしているからもう行かなきゃいけないんだけど。
「私がするから」
心優しいお姉さんが申し出てくれた。お願いします。
帰ろうとする背中にちょっと待ったコールがかかった。
「明日の朝食の介助もお願いしたいのですが」
「えっ、あ~、わかりました」
と言う訳で今日もおじさんと一緒に朝ご飯を食べさせに行った。入れ歯を手に持っている。せっかく入れてもらったのに自分で外してしまったのだ。
今日のメニューは、味噌汁とお粥、卵焼き、白菜と人参の煮物、梅醤。梅醤はかなり少量にしないと塩辛すぎるらしい。
「それじゃ、お茶飲もう」
汁物やお茶はストローで飲ませるとこぼさずに飲ませられる。
ほとんど完食、ふう、これで終わった。これで時間を気にせず、いつもの生活に戻れる。
やれやれと、食器を下げ、ロビーに出た。さあ、帰ろう、今日は祝杯だ。そう思っていたら、またもや背中にちょっと待ったコールが。
なんだかんだと理由を述べ立てていたが、要するに人手不足で3食全ては食べさせられない、特に夕食は職員も少なくなり、お世話できない。どうにか夕食時はご家族で食べさせて欲しい。
えっ、そんな。職員さんには感謝しています。こんな介護はままごとみたいなものだって、わかっています。だけど、話が違うじゃない。寝たきりになっても大丈夫だと言っていたじゃない。
今はイレギュラーな状態なので、仕方ないと夕食の介助は当分の間することになった。
でも、いつまでこんな状態じゃやってられないよ。
先の見えない不安。いつまで続くぬかるみぞ。
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