おじさんと結婚することになった若い日。
どちらからともなくそういうことになったのだが、目の前にあることを一つ一つこなしていくことは、今も同じだろうと思う。
「お前、結婚式したい?」
「別にしたくない。2時間で何百万も使うの、もったいないじゃん」
「そうだよな、そんなのに金使うくらいなら、旅行に使おうぜ!」
ということで、二人の意見は一致した。もっとも、披露宴らしきものはした。友達を呼んで、洋風居酒屋のようなところでワイワイ騒いだ。
今では、籍を入れるだけの地味婚も周知されているが、この頃はまだ、
「結婚式・披露宴は当然するもの」
という時代だった。
もし、しなくては困るというなら、するにやぶさかではない、とくうみん母に伝えた。
「私は別に構いませんよ!私は!でも、おじさんのご両親がどう言うでしょうね?!」
「そうか、わかった」
母の言葉を真に受けたおじさんとくうみんは、おじさんの両親に尋ねた。
「あの、結婚式しないつもりなんですけど、いいでしょうか?」
「私たちは別に構いませんよ」
おじさんのお母さんはそう言って、お父さんの方を振り返った。
「お父さんも別にどうでもいい」
ということです、とくうみん母に報告した。
母 「私はどうでもいいけど、あんたが後悔するよ!」
くうみん 「しないよ~、アハハ」
母「結婚式の写真でも見れば、あとで不仲になったときも、こんな時もあったんだって思うじゃない!私はどうでもいいけどね!」
くうみん「そんなの、関係ないない」
して欲しいならして欲しいと言えばいいものを、自分から進言するのではなく、あくまで私(達)が、希望したという形を取りたかったらしい。
おじさんもくうみんも、そういったことについて非常に鈍いので、そんなくうみん母の気持ちに気づかなかった。
10年くらい後になって、
「ひょっとして、して欲しかったのかも。でも、自分の希望という形にはしたくなかったのかも」
と、二人で話したこともあった。
「何もかも、あの男(おじさんのこと)のせいだ!!」
今まで自分の思い通りにくうみんを支配できたのに、おじさんのおかげで自分の意見が通らなかった。
一人で抵抗してもできないけど、二人なら抵抗できるものなんだな。
これで結婚式・披露宴をしたなら、
「やっぱりしたいっていうんですよ!」
「お前が披露宴をしたいというから、金出してやった!」
と、恩を着せるんだろうなあ。
その後、おじさんが税理士試験に合格するまでの長きに渡り、おじさんへの婿いびりが続いたのであった。
別居とはいえ、あれも大変だったなあ…(シミジミ)
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ジャンル : 結婚・家庭生活
「婿いびり」ってのがあること…初めて知りました。
愚息のお嫁さん家は代々女系のお婿さんとり、大事にされてはりますけどねぇ。
それにしてもお母さま … なかなかのツワモノでいらっしゃいます。
カワイイ!ではありませんか? ありません!と? ま、まぁ、確かに…。
私が結婚したのは1973年秋。
「ご招待」ではなく 当時はやりの実行委員会形式(会費制)、
父は "両家ご挨拶"の冒頭 『このように皆様に甘えた式で恐縮です』と。
百人余にきていただき 総費用は百万円ぐらいだったかなぁ。
「仏滅」の日でしたので挙式は私達だけ、格安でサービス満点!でした。
母には こういう形式は初めてで とても新鮮に映ったらしく
「心のこもった素晴らしい結婚式だった」 と珍しく?殊勝でありました。
でもハネムーンは飛騨高山二泊三日という ジミームーン。
旅行にシフトされた おじさん&くうみんさん方式のほうが良かったかも…。
でもでも息子はそのハネムーンベイビー! よほど良かったのかも…(爆)
うんうん、なるほど。
結婚する当人同士が、結婚式は挙げないと決めて、友人や家族だけでレストラン等でお祝いするのは、今も昔もよくある話だよね。
こういうおばばも、二度とも?結婚式を挙げてないし、別にどうとも思わない。
それにしても、形式上?とは言え、くうみんさんのお母上がよく引き下がりましたね。 成人式の振袖と言い、幼稚園時代の七五三の着物と言い、かな~りの我を通さねば気が済まないご様子のお母上、おじさんのご両親の一言が効いたんでしょうねえ。
婿いびり・・・。私の両親も、私の結婚相手には、2度ともいい顔をしなかったよ・・・(苦笑)
デ某様
> 「婿いびり」ってのがあること…初めて知りました。
ありますよ!
> 愚息のお嫁さん家は代々女系のお婿さんとり、大事にされてはりますけどねぇ。
それはよかった。
> それにしてもお母さま … なかなかのツワモノでいらっしゃいます。
> カワイイ!ではありませんか? ありません!と? ま、まぁ、確かに…。
>
かわいくない!!曲者、ツワモノでござりまする。
> 私が結婚したのは1973年秋。
ふんふん。
> 「ご招待」ではなく 当時はやりの実行委員会形式(会費制)、
> 父は "両家ご挨拶"の冒頭 『このように皆様に甘えた式で恐縮です』と。
> 百人余にきていただき 総費用は百万円ぐらいだったかなぁ。
> 「仏滅」の日でしたので挙式は私達だけ、格安でサービス満点!でした。
>
いいですね~。地味と派手の中間を取った形でしょうか?
> 母には こういう形式は初めてで とても新鮮に映ったらしく
> 「心のこもった素晴らしい結婚式だった」 と珍しく?殊勝でありました。
みんな満足して、良かったです。
> でもハネムーンは飛騨高山二泊三日という ジミームーン。
私なら、結婚式の100万円は、こっちに充当する!
> 旅行にシフトされた おじさん&くうみんさん方式のほうが良かったかも…。
> でもでも息子はそのハネムーンベイビー! よほど良かったのかも…(爆)
へ~、ハネムーンベビーか~。それは二重におめでとうございます。
おばば様
> うんうん、なるほど。
> 結婚する当人同士が、結婚式は挙げないと決めて、友人や家族だけでレストラン等でお祝いするのは、今も昔もよくある話だよね。
>
> こういうおばばも、二度とも?結婚式を挙げてないし、別にどうとも思わない。
>
へ~、おばば様も!花嫁衣裳への憧れなんて、さらさらないですよね。あれ、肩がこるだろうな~。
> それにしても、形式上?とは言え、くうみんさんのお母上がよく引き下がりましたね。 成人式の振袖と言い、幼稚園時代の七五三の着物と言い、かな~りの我を通さねば気が済まないご様子のお母上、おじさんのご両親の一言が効いたんでしょうねえ。
>
1対2では、かなり力の差があったと思います。それに男性の発言力って女性と比べ物にならないほど大きいように感じます。
> 婿いびり・・・。私の両親も、私の結婚相手には、2度ともいい顔をしなかったよ・・・(苦笑)
そうであったか…うちの娘ならもっといい男が似合うのに、って思ったのかな?
記事も拝見しました。
おじさんとの思い出でしたね
一緒に居ると、ついついお互いのわがままも出てしまいます。
でも、それはあとになってから良い思い出にもなりますよ。
私はウェディングドレスが着たかったので披露宴希望でした。
でも母が、やれ「白無垢を着ろ」だの「お色直しでは振り袖を着るのが当たり前だ」だの、その他いろいろ口を挟んできて大変でした。でも金は出さない。
妥協点をさがして、打ち掛けとウェディングドレスで決着しました。ふう・・
くうみんさんの旦那様は結婚してから税理士になったんですね。
うちの次女の旦那さんがまさに今、税理士目指して勉強してます。
去年、宮古島に一緒に行ったときも、飛行機を待つ時間とか一生懸
命勉強してました。なにも旅行に来てまで勉強しなくてもと思ったけ
ど、それ口に出したら婿いじめになったのかも(苦笑)数ヶ月勉強し
て科目一つは受かったとかで、あと2つ受かれば、土曜日だけの大
学院へ行き税理士の資格取れるそうです。でも何年もかかりますよ
ね、難しそうだし。
こんにちは(^_^)
夫は旅立ってしまいましたが、今日は我々の53回目の
結婚記念日です。
半世紀以上も前の古い話です(^_^;)
当時も式場での挙式もありましたが
田舎のこと、義兄が家を建ててから人寄せをしていないので
家で式をしようと言う話しになり、お金のなかった夫はその
話しに乗りました。
実家でも婚家でも花嫁は見世物でした。
この寒い時、庭に面したガラス戸を開けてあちこちから
見られました。
寒い寒い日でした。
まあ~そんなことあったんですか。
婿いびりがあったんですね。
私は嫁いびりされました。。。
それにしてもお母様は中々なものですね。
応援☆彡
ひねくれくーみん様
こんばんは。
結婚式も披露宴もやりましたが新婚旅行は海外にせず
その金で車を買って国内を回りました。
結婚式や披露宴はビデオにとってありますので後日
友人たちと観ながらワイワイやりました。
しかし、その友人たちも何人かもうこの世にいません。
愛新覚羅
思いを貫けて良かったですね。
私も、結婚式はしたくなかったです、できることなら。決して自分達のためのものではなかったですから。
ウエディングドレスは着たかったけど、野原で「花の首飾り」だけでも良かった・・。
旅行にお金をかける方がいいですね^^
私たちも、1995年の阪神淡路大震災の年に結婚したので、神戸に実家のある夫のことも考えて挙式・披露宴はなしという建前にしましたが、もともとやりたくない派だったのでちょうど良かったです。
心を寄せてくださっている方への誠実な対応はお金をかけなくてもできますし、そういうことをするだけの気持ちの余裕は、残しておくようにしたいと思います♫
がちょー様
> 記事も拝見しました。
>
> おじさんとの思い出でしたね
>
> 一緒に居ると、ついついお互いのわがままも出てしまいます。
> でも、それはあとになってから良い思い出にもなりますよ。
そうですね、そう思いますが、食い物の恨みは別のような気がするのは、私が食い意地張っているからか?
キララ様
> 私はウェディングドレスが着たかったので披露宴希望でした。
ウェディングドレスに憧れる女性は多いですね。
> でも母が、やれ「白無垢を着ろ」だの「お色直しでは振り袖を着るのが当たり前だ」だの、その他いろいろ口を挟んできて大変でした。でも金は出さない。
口は出すけど金は出さないのですね。うちの母は、金は出すけど、それを何十年も言い続けます。これも困る。
> 妥協点をさがして、打ち掛けとウェディングドレスで決着しました。ふう・・
うるせ~から、やむをえませんね。
クーチ様
> くうみんさんの旦那様は結婚してから税理士になったんですね。
>
そうです。長かったな~。
> うちの次女の旦那さんがまさに今、税理士目指して勉強してます。
>
ほぉ、そうでしたか。
> 去年、宮古島に一緒に行ったときも、飛行機を待つ時間とか一生懸
>
> 命勉強してました。なにも旅行に来てまで勉強しなくてもと思ったけ
>
> ど、それ口に出したら婿いじめになったのかも(苦笑)数ヶ月勉強し
>
> て科目一つは受かったとかで、あと2つ受かれば、土曜日だけの大
>
> 学院へ行き税理士の資格取れるそうです。でも何年もかかりますよ
>
> ね、難しそうだし。
おじさんは、旅行のときは勉強しなかったな。ただ、毎日のように予備校で授業を受けるか、自習していたので帰りは11時頃でした。食事はどうしていたか、覚えていないのですが、たぶん駅そばでも食べていたんじゃないかと。
今は大学院で認定を受ける人も多くなったようですね。
タンポポ様
> こんにちは(^_^)
> 夫は旅立ってしまいましたが、今日は我々の53回目の
> 結婚記念日です。
> 半世紀以上も前の古い話です(^_^;)
>
そうでしたか、53回目の結婚記念日ですか。死んだ子の年を数えると言いますが、夫婦も同じです。
> 当時も式場での挙式もありましたが
> 田舎のこと、義兄が家を建ててから人寄せをしていないので
> 家で式をしようと言う話しになり、お金のなかった夫はその
> 話しに乗りました。
>
これはありがたい!と思いますよね。
> 実家でも婚家でも花嫁は見世物でした。
> この寒い時、庭に面したガラス戸を開けてあちこちから
> 見られました。
> 寒い寒い日でした。
どっひゃ~!!お疲れ様です。花嫁さんは、「まあ、きれい」とほめそやされる存在ですが、寒い中、じっとしているのは大変だったことでしょう。
mmerose様
> まあ~そんなことあったんですか。
> 婿いびりがあったんですね。
> 私は嫁いびりされました。。。
嫁いびり、良くある話ですね。昔の女性は我慢強かったんですね。今、そんなことをしたら、逃げられます。
> それにしてもお母様は中々なものですね。
>
たいしたたまげたです。
> 応援☆彡
ありがと~。
aishinkakura様
> ひねくれくーみん様
> こんばんは。
>
> 結婚式も披露宴もやりましたが新婚旅行は海外にせず
> その金で車を買って国内を回りました。
車で新婚旅行、それも楽しそうです。
> 結婚式や披露宴はビデオにとってありますので後日
> 友人たちと観ながらワイワイやりました。
> しかし、その友人たちも何人かもうこの世にいません。
>
私も洋風居酒屋での宴をビデオに録りました。でも、ビデオはもうなくなってしまった。あの人たちはどうしているだろう?
uranosora71様
> 思いを貫けて良かったですね。
> 私も、結婚式はしたくなかったです、できることなら。決して自分達のためのものではなかったですから。
> ウエディングドレスは着たかったけど、野原で「花の首飾り」だけでも良かった・・。
そうなんですよね。自分たちがしたくてするものじゃないのが問題です。したいのならすればいいけど。
> 旅行にお金をかける方がいいですね^^
ヨーロッパに行きました。当時としては、かなりお金をかけた旅行でした。
utokyo318様
> 私たちも、1995年の阪神淡路大震災の年に結婚したので、神戸に実家のある夫のことも考えて挙式・披露宴はなしという建前にしましたが、もともとやりたくない派だったのでちょうど良かったです。
被災されたのは、大変だったでしょう。でも、意に染まぬ式をせずに済んだのは、不幸中の幸いというもの。
> 心を寄せてくださっている方への誠実な対応はお金をかけなくてもできますし、そういうことをするだけの気持ちの余裕は、残しておくようにしたいと思います♫
そうですね、気持ちの問題です。
私も結婚式は挙げませんでした。
ただ、写真だけは撮ったのと、くうみんさんと同じように、馴染みの店を借り切ってごく親しい友人を招いた披露宴みたいなものはやりました。
今度(来世を含めて)結婚するとしても、いわゆる結婚式は挙げないと思います(笑)。
さえき奎様
> 私も結婚式は挙げませんでした。
> ただ、写真だけは撮ったのと、くうみんさんと同じように、馴染みの店を借り切ってごく親しい友人を招いた披露宴みたいなものはやりました。
> 今度(来世を含めて)結婚するとしても、いわゆる結婚式は挙げないと思います(笑)。
ふつうのけっこんしきはしていないというひと、結構いるんですね。リアルでは私ぐらいのものだったんだけど。
私も来世は今の記憶を失っていると思いますが、同じだと思います。
え~~~~~ >< 婿いびり ><
恐ろしい・・・・・
僕らも最初は結婚式 しないつもりでした。
でも 親戚に会うたびに なぜしなかったかを説明するより
1日 面倒でもやろう という考えで やりました
今なら 人面式とか いろいろあるみたいですね ^^
駐在おやじ
駐在おやじ様
> え~~~~~ >< 婿いびり ><
> 恐ろしい・・・・・
>
あれ~、おじさんくらいなのかな、婿いびりされたの。
> 僕らも最初は結婚式 しないつもりでした。
> でも 親戚に会うたびに なぜしなかったかを説明するより
> 1日 面倒でもやろう という考えで やりました
>
そうですよね、今は時代の流れやコロナもあって式をしないのもありということになりましたが、ちょっとまえまではなんでしきをしないんだとか、うるさかったです。
うるさいのを避けるのを優先するか、旅行、銭金を優先するかですね。
> 今なら 人面式とか いろいろあるみたいですね ^^
>
何でもあり、この点はいい世の中になりました。
おじさまのおかげで、くうみんさまも自律できたんですね。
本当によかったです!
このタイプの母親と子どもは癒着してしまうので、なかなか親離れ・子離れができないのですが、くうみんさまにとってはおじさまは本当にヒーローでしたね。いい人と結婚したと思います。😉
しかし、壮絶な婿いびりがありそ~
うちの祖母も同じタイプの人なので、それはそれは壮絶だったと思います。😢
ミコリー様
> おじさまのおかげで、くうみんさまも自律できたんですね。
> 本当によかったです!
私も相当母に毒されていました。これはほんの入り口です。まだまだ毒を吐かねばならぬ。
>
> このタイプの母親と子どもは癒着してしまうので、なかなか親離れ・子離れができないのですが、くうみんさまにとってはおじさまは本当にヒーローでしたね。いい人と結婚したと思います。😉
>
向こうは弟がいるから、くうみんはもう要らないと思ったこともあったのですが、弟が母を嫌って行方をくらましたので、またこっちに来てしまった。ガックリ。
私としては、誰も助けないから、仕方なく助けていると思っていますが、親離れができていないだけなのか、不安になります。
> しかし、壮絶な婿いびりがありそ~
> うちの祖母も同じタイプの人なので、それはそれは壮絶だったと思います。😢
わかりますか?同居だったら、すぐ逃げ出したことでしょう。
くうみんさんは結婚式はせずにその分を旅行に使ったのですね、
とても勇気がある決断でしたね。
当時私は初任地の伊豆に住んでいましたが結婚式は盛岡に戻って挙げましたよ。
伊東で新婚生活が始まりましたが実家が遠いせいもあってイビリはなかったです。
新婚旅行は京都のお宿、国鉄のストにかかりそうなので2日ほど予定を早めて伊東に戻ったのも今となれば思い出です。
kaz様
> くうみんさんは結婚式はせずにその分を旅行に使ったのですね、
> とても勇気がある決断でしたね。
自分ではそんなに深く考えていませんでした。
> 当時私は初任地の伊豆に住んでいましたが結婚式は盛岡に戻って挙げましたよ。
そうでしたか。伊豆は暖かくていい所ですね。
> 伊東で新婚生活が始まりましたが実家が遠いせいもあってイビリはなかったです。
遠くにいた方がお互いいいかも。
> 新婚旅行は京都のお宿、国鉄のストにかかりそうなので2日ほど予定を早めて伊東に戻ったのも今となれば思い出です。
国鉄のスト!懐かしいな~。あれはなんだか年中行事のような。今はストライキってありませんね。