癌だ、ガ~~~ン!12年前の話
くうみんが、ガンと診断されたのは、12年前の8月だった。胸にしこりがあるのに、自分で気づいた。かかりつけのお医者さんに言って、某ガン専門の病院を紹介された。
私がガンの訳ないじゃ~ん!
そう思っていた。その当時、くうみんの近くに2人のガンサバイバーがいた。年は食っていても、2人とも美人で、一人は若い頃に、六本木を歩いているとき、
「第二の吉永小百合になりませんか?」
と、スカウトされたという。もう一人も、長いまつげが印象的な美しい人だ。
大丈夫!!私、ブスだから!
自信満々、疑いなんて、これっぽっちもしなかった。
それなのに、言われた。
「悪性の可能性があります」
聞いた途端に、顔から微笑みがなくなり、血の気が引くのが分かった。
その時の女医が言った。今度の診察には、ご家族と一緒に来てください。
ご家族と一緒に来てくださいって、本当に、言うんだ…
実際のガン宣告は、次におじさんと行った時だけど、くうみんにとっては、これが実質のガン宣告。通い慣れたはずの帰り道、何度も電車を乗り間違えた。
手術するともしないとも、言っていないのに、なぜかベルトコンベアに乗ったように、手術に向かって行った。
「くうみんさん、しばらく休むそうですね。どこに行くんですか?」
「ちょっと、アーバンリゾートへ」
「楽しんできてください」
「…うん」
当時、国民健康保険の係でパートをしていたくうみんは、自分で自分の「限度額適用認定証」をひっそりと発行して持って行った。これを持って行けば、支払いのときに、自身の所得に応じた金額を限度として、支払えば済む。ちなみに、これがなくても、後で返って来る。
そして迎えた手術当日。12年前の、9月18日のことだった。
手術室には歩いて行ったように記憶している。手術室のドアを開けると、そこはまるで体育館のように広くて天井の高い部屋になっていて、左右にたくさんの手術室があった。
こんなんなっていたのか…かなり驚いた。さすがガン専門病院。手術を受ける患者がたくさんいて、それを上回るスタッフがいる。
手術室のひとつに入って、ベッドに案内された。手術用のベッドはかなりタイトで太った人はどうするんだろうと思った。けど、ベルトのようなもので固定するから、大丈夫なんだろう。
麻酔は点滴でする。大酒飲みなので、麻酔が効かないかと心配だったが、酒は関係ないそうだ。数を数えさせるというけれど、ここではそんなこともなく、2、3秒で意識がなくなった。
「気が付きましたが?」
看護師さんに声を掛けられ、寝かされていたストレッチャーごと、移動した。カラカラ…昨日からいた部屋に戻って来た。
わきの下が痛い…ナースコールをして、痛いんですけど、というと、点滴から痛み止めを入れてくれた。痛み止めのせいか、深い眠りについた。
気が付くとおじさんが、カーテンを少し開けて、こっちを見ていた。
「これで気づかなかったら、もう帰ろうとしていたんだ」
8時半ごろこの部屋を出て、今はもう夜の7時だそうだ。
「それじゃ、帰るからな」
「うん…」
その夜のうちから、酸素の管が外された。次の朝、尿道の管が外されたときはすごくうれしかったのを、今でも覚えている。すご~く、不快だったから。
脇のかなり下から、一本の管が出ていた。体液を排泄するためのドレーン。これがあるということは、全摘したか、リンパ転移があったということだ。
どっちにしても、いい事ではない。
でも、とにかく手術は終わった。これで終わりだと思っていたのだが、それは甘い考えだった、というのはブログの前の方に嫌というほど書いてきた。
まあ、年寄りの繰り言と思って、聞いてやってください。
自分がガンになる前は、
「どうしてガン専門病院なんかに行くんだろう?すぐにガンってわかっちゃうじゃん!」
と、思っていたのに、自分がガン専門病院のお世話になってしまうとは。
さて、このオバさんはどうなってしまうのでしょう?
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そう思っていた。その当時、くうみんの近くに2人のガンサバイバーがいた。年は食っていても、2人とも美人で、一人は若い頃に、六本木を歩いているとき、
「第二の吉永小百合になりませんか?」
と、スカウトされたという。もう一人も、長いまつげが印象的な美しい人だ。
大丈夫!!私、ブスだから!
自信満々、疑いなんて、これっぽっちもしなかった。
それなのに、言われた。
「悪性の可能性があります」
聞いた途端に、顔から微笑みがなくなり、血の気が引くのが分かった。
その時の女医が言った。今度の診察には、ご家族と一緒に来てください。
ご家族と一緒に来てくださいって、本当に、言うんだ…
実際のガン宣告は、次におじさんと行った時だけど、くうみんにとっては、これが実質のガン宣告。通い慣れたはずの帰り道、何度も電車を乗り間違えた。
手術するともしないとも、言っていないのに、なぜかベルトコンベアに乗ったように、手術に向かって行った。
「くうみんさん、しばらく休むそうですね。どこに行くんですか?」
「ちょっと、アーバンリゾートへ」
「楽しんできてください」
「…うん」
当時、国民健康保険の係でパートをしていたくうみんは、自分で自分の「限度額適用認定証」をひっそりと発行して持って行った。これを持って行けば、支払いのときに、自身の所得に応じた金額を限度として、支払えば済む。ちなみに、これがなくても、後で返って来る。
そして迎えた手術当日。12年前の、9月18日のことだった。
手術室には歩いて行ったように記憶している。手術室のドアを開けると、そこはまるで体育館のように広くて天井の高い部屋になっていて、左右にたくさんの手術室があった。
こんなんなっていたのか…かなり驚いた。さすがガン専門病院。手術を受ける患者がたくさんいて、それを上回るスタッフがいる。
手術室のひとつに入って、ベッドに案内された。手術用のベッドはかなりタイトで太った人はどうするんだろうと思った。けど、ベルトのようなもので固定するから、大丈夫なんだろう。
麻酔は点滴でする。大酒飲みなので、麻酔が効かないかと心配だったが、酒は関係ないそうだ。数を数えさせるというけれど、ここではそんなこともなく、2、3秒で意識がなくなった。
「気が付きましたが?」
看護師さんに声を掛けられ、寝かされていたストレッチャーごと、移動した。カラカラ…昨日からいた部屋に戻って来た。
わきの下が痛い…ナースコールをして、痛いんですけど、というと、点滴から痛み止めを入れてくれた。痛み止めのせいか、深い眠りについた。
気が付くとおじさんが、カーテンを少し開けて、こっちを見ていた。
「これで気づかなかったら、もう帰ろうとしていたんだ」
8時半ごろこの部屋を出て、今はもう夜の7時だそうだ。
「それじゃ、帰るからな」
「うん…」
その夜のうちから、酸素の管が外された。次の朝、尿道の管が外されたときはすごくうれしかったのを、今でも覚えている。すご~く、不快だったから。
脇のかなり下から、一本の管が出ていた。体液を排泄するためのドレーン。これがあるということは、全摘したか、リンパ転移があったということだ。
どっちにしても、いい事ではない。
でも、とにかく手術は終わった。これで終わりだと思っていたのだが、それは甘い考えだった、というのはブログの前の方に嫌というほど書いてきた。
まあ、年寄りの繰り言と思って、聞いてやってください。
自分がガンになる前は、
「どうしてガン専門病院なんかに行くんだろう?すぐにガンってわかっちゃうじゃん!」
と、思っていたのに、自分がガン専門病院のお世話になってしまうとは。
さて、このオバさんはどうなってしまうのでしょう?
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