もうすぐお盆
もうすぐ旧暦のお盆だ。くうみんの住む地域は新暦のお盆、7月に行う家も多いようだが、高校野球やお盆休みなどがあるし、お盆は8月の方がしっくりする。
くうみんがお盆をするようになったのは、くうみん父が亡くなってからだ。
本当はする気はなかった。生まれ育った家にそのような習慣はなかったし、おじさんの家もカトリックだったのでお盆はしない。
父が亡くなって新盆も近いある日、
「じいさん(父のこと)の新盆どうしよう?しなくていいよね」
など思っていたら、押し入れに紙袋に入った何物かを発見。開けてみると、葬儀で使った、仏様セットが入っていたのだ。
なんだ、お盆をやって欲しいのか?自分じゃ何もしなかったくせに、勝手なもんだ。
しかし、仏となった父の言うことを聞かなければ、何か悪いことでも起こるかもしれないと、それ以来毎年お盆をするようになった。
お盆と言っても形ばかり、段ボールでできた祭壇を組み立て、白い布をしいて、花を飾り、供え物をする。
しかし、これだけやったとしても、なんとなく亡くなった人をしのぶ気持ちが出てくるものだ。
そのうちおじさんが亡くなった。それから父とおじさんの合同お盆となった。
この年になれば、親の年忌を弔うのは、ある意味当然のことだけど、おじさん、あんた早過ぎると思わんか?58で亡くなるなんて。私はその年をとっくに超えてしまったよ。
だからもう、遺影に使う写真は決めている。おじさんの遺影の隣に並べて置いてある。だから間違えることはないだろう。おじさんは若くて、私がバアさんの写真じゃ嫌だ。
私が死んだら、どうなるのか?子供もいないし、私の遺影なんて、邪魔になるだけだろうから、そのまま捨てていいと、遺言しなくては。
あれもこれも。ああ、言い残すことがたくさんあるなあ。
お盆には、何かいいものでも食べよう。いいものと言っても、回転ずしのテイクアウトと、オーケーで買ったステーキ肉を自分で焼くくらいしか思い浮かばない。私もおじさん同様、安いものしか知らない人間。
まあ、お盆には、こんな風に、来し方行く末も考えてしまうものです。
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本当はする気はなかった。生まれ育った家にそのような習慣はなかったし、おじさんの家もカトリックだったのでお盆はしない。
父が亡くなって新盆も近いある日、
「じいさん(父のこと)の新盆どうしよう?しなくていいよね」
など思っていたら、押し入れに紙袋に入った何物かを発見。開けてみると、葬儀で使った、仏様セットが入っていたのだ。
なんだ、お盆をやって欲しいのか?自分じゃ何もしなかったくせに、勝手なもんだ。
しかし、仏となった父の言うことを聞かなければ、何か悪いことでも起こるかもしれないと、それ以来毎年お盆をするようになった。
お盆と言っても形ばかり、段ボールでできた祭壇を組み立て、白い布をしいて、花を飾り、供え物をする。
しかし、これだけやったとしても、なんとなく亡くなった人をしのぶ気持ちが出てくるものだ。
そのうちおじさんが亡くなった。それから父とおじさんの合同お盆となった。
この年になれば、親の年忌を弔うのは、ある意味当然のことだけど、おじさん、あんた早過ぎると思わんか?58で亡くなるなんて。私はその年をとっくに超えてしまったよ。
だからもう、遺影に使う写真は決めている。おじさんの遺影の隣に並べて置いてある。だから間違えることはないだろう。おじさんは若くて、私がバアさんの写真じゃ嫌だ。
私が死んだら、どうなるのか?子供もいないし、私の遺影なんて、邪魔になるだけだろうから、そのまま捨てていいと、遺言しなくては。
あれもこれも。ああ、言い残すことがたくさんあるなあ。
お盆には、何かいいものでも食べよう。いいものと言っても、回転ずしのテイクアウトと、オーケーで買ったステーキ肉を自分で焼くくらいしか思い浮かばない。私もおじさん同様、安いものしか知らない人間。
まあ、お盆には、こんな風に、来し方行く末も考えてしまうものです。
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