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くうみんブログ無期休暇のお知らせ 次の夢に向かって

 くうみんが文章を書くのが好きだという話はしました。先日以前から書きたいと思っていた物語がありましたので少しブログを休んで書いてみました。

 でもだめ、こんなんじゃ薄っぺら!
 2、3週間もかければそれなりのものができるんじゃないかと思っていましたが、ダメなのです。

 くうみんはブログを朝書き始めます。朝書いたものはとりとめなく思うままに書きます。
 一旦パソコンを閉じて掃除や買い物などの家事を済ませますが、その間ブログの文章をああでもないこうでもないと練り続けます。
 夕方再びパソコンに向かい、朝書いたブログを修正、アップします。 

 中には一気に書いてしまわないと、という言ってみれば書道型の方もいらっしゃるようですが、くうみんは油絵型とでも言うのか、考えて考えて…単なるブログでさえ、こんな手順を踏まないとできません。

 家事やランニングなど、体を動かすこととブログは両立できますが、小説、物語を書く事はたとえ趣味としても両立できないと思ったのです。

 小説を書きたい…そう言ったらなぜかおじさんのいとこに当たるHちゃんが大反対しました。
 へ?なんで?別にお金のリスクがあるわけじゃなし?
 おじさんが言いました。
「自費出版だと思ったんじゃないか?」
 ふ~ん、そうか。こんな心配をしている人もいました。

>文芸社プレミア会員に入ったのか?
>今ならお安くに釣られた?
>このアンポンタンめ。(四国在住M氏)

 でも自費出版はするつもりはありません。

 3年前、くうみんの父が亡くなりました。その時ひとり暮らしの父の家を妹とふたりで片付けました。
 なんじゃコリャ、みたいなおバカな遺品もあり、死ぬ前に人に見られたくないものは処分しとかないとな、と実感しました。
 しかしその中に誰か他の人が書いたような原稿がありました。
「なんだろう、これ?」
「添削のバイトでもしていたのかな?」
 机の上には封書があって、中に手紙と新聞の切り抜きが入っていました。
「先生のご指導のおかげでコラムに私の記事が載りました」
 ペットの飼い主同士のふれあい、のような記事です。
「文章教室の講師でもしていたのか?」

 父は雑誌や新聞に投稿するのが好きでした。よく採用されたらしく、自慢げに電話してくることもありましたが、その当時はくうみんは父に対する不信感があって、あまり興味もなく、聞き流していました。
 きっと何回も投稿を繰り返していくうちに雑誌の会社の誰かの目に止まったんじゃないか…

 小説書きというまで行かなくても、こんな形で物書きとしての仕事が出来たら、と思っています。
 父は、なまけもので、一攫千金狙い、それでいつも失敗して、人生も狂っていきました。
 でも、変なところで地道だったようです。

 くうみんも父のようになれたら…初めて父を師と仰ぎ見ています!

img012 こんな時もあった.jpg
父の遺品より こんなこともあったし、十数年会わなかったことも

 以前オババさんことタカ母さんが、
「自分のことを犬型と思いますか?猫型と思いますか?」
と問いかけていたことがありました。
 人それぞれ、自分は犬型だと思う、猫型だと思う、と言っていました。
 くうみんは自分のことは子犬だと思っています。

 好奇心いっぱいで、いたずら好き、時々野母井のおっちゃんの庭先を荒らして、いなされたり叱られたり。

 その黒い子犬の「くう」が、ビビアンちゃんと一緒に悪い鯨にいぢめられた(荒らしにあった)とき、ま~くんが助けてくれました。助けてくれたそのまーくんに、なぜか分からぬがいぢられ役を命じられ…

 何にでも首を突っ込む黒い子犬の「くう」はくうみんの分身です。この子と一緒に夢を見ていきたい。

 くうみんの前世は旅のお笑い芸人だったんだって。当たっていると思いませんか?
 楽天村は居心地がよくて、旅をするのを忘れてしまっていた…

 くうみんおばさんはバス停に向かっていました。あとからくうがついていきます。くうは時々後ろを振り返ります。
「早くおいで」 

 楽天村のバス停は、くうみんおばさんみたいに村を離れる人が数人いました。その中に知った顔もありました。
「旅は道連れ、途中まで一緒に行こうよ」
 その人もにっこり笑って頷きました。

「次の駅行きの楽天バス、もうすぐ出発で~す」
「あ、出発だって。くう、この中に入って」
 くうは少し後ろを振り返り、そしてゲージの中に入りました。
「おとなしくしているんだよ」

 バスに乗り込むと、子供たちが走ってきました。
「くうみんおばさん、くうみんおばさん、またお話を聞かせて!またここに戻ってきて!」
 くうみんおばさんは答えました。
「小説書きが箸にも棒にも引っかからなかったら、また戻ってくるよ!その時は笑わないでね!」

「笑わない!おばさんの面白いブログで笑う!」

 くうのゲージを膝に抱える。くうの体温が暖かい。ありがとう。さようなら。いつの日か、また会いましょう。
 さようならは別れの言葉じゃなくって、いつか会うまでの遠い約束…です。

 夢の途中  小椋佳



 という訳で一応最終回です。しかし極めてかっこ悪いこのくうみん、次のステップに行き着くことができなくて、また頭をかいて戻ってくるかもしれません。
 その時は温かく迎えてください。


 長い一億年の人生、今が一番幸せです。

 一応とはいえ、これでお別れだと思うと、大変悲しく思います。この前の、16日の記事は突っ込みどころ満載の喧嘩ブログなのに、反論が何もないのは消えゆく者への武士の情けか?
 慕ってくれる人も何人かはいました。nayamiさん、ドグダミちゃん、みんみちゃん、さよならね。
 「くうみんにメールはこちら」、生きてますのでなにかお話したかったらメールください。
 夕方アップのはずが、この時間まで延び延びにしてしまいました。

 今、泣いてます。

 ブログは見ています。オフ会の時はよろしく。


 それじゃまた会う日まで、さようなら。「公開する」、を今クリックします。


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くうみんブログ無期休暇のお知らせ ガンとブログ

 すみません、明日明日と言っておきながら忙しくて…

「くうみんおばさん、今日のお話は何?」
「いつまで休んでないでお話聞かせてよ」

 ドアをたたいても返事がない。そっとドアを開けると、そこにくうみんおばさんの姿はなかった…
 テーブルの上に置き手紙がある。
「くうみんおばさんの手紙だ」
「なんて書いてあるの?」

 くうみんおばさんは次なるステップのために旅に出ます。家はこのままにしておきます。まためぐり合いましょう。

くうみん

「くうみんおばさん!どこへ行ったの?」

   
 くうみんブログ無期休暇をいただくことにしました。このまま黙ってやめればいいかな?とも思いましたが、なにせ病気持ちで心配してくださる方もいましたので。
 トメさん、ありがとう。くうみんは元気だよん。


 ブログのこと、病気のこと

 くうみんは文章を書くのが好きでした。
 せっかく乳がんになるという経験をしたんだから、このことを書いてみたい。だけど出版なんて敷居が高くて出来ない。
 くうみんは誰も読んでくれないガンにかかった経験談を書いて、自分ひとりで読んでいました。

 そんな時、くうみんのガン友がブログを始めたと聞きました。教えられた通りのアドレスに行くと、まあ、家にいながら自分でこんな情報発信が出来るなんて!

 これだ!やろう!図書館で借りてきたのが楽天ブログを例に取ったものだったので楽天以外の選択肢はありませんでした。

 はじめは夢中で、一日も休まずに書き続けました。アクセスは一日ひとけた、しかもHブログや商業ブログのアクセスばかりでした。

 自分でもほかのブログにお邪魔し、向こうからも来てくれてしだいに「ブロ友」も増えていきました。 
 写真のアップ法も知らず、行を開けることも気づかず、読みにくいことこの上なかったと思います。

 私のガンに対する考えは主流派ではありません。
 はじめは病院の先生を本当に信頼していましたが、こんなことをするのが治療なのか?これではガンさえなくなれば死んでも構わないとでも考えているのではないか?次第にそう思うようになりました。

 ブログの中でも触れたことがありますが、中世ヨーロッパでは梅毒の治療に水銀を使ったそうです。
 その治療は大変に苦しいものだったようで、日本でも杉田玄白が実行しましたが、あまりの副作用の酷さに広まらなかったということです。

 西洋医学は局所的に効きさえすればいいという考えですが、江戸時代の日本ではそういった考えは受け入れられませんでした。

 全体を見たからこそ、こんな危険な水銀療法は広まることがなかったのです。
 今はどうでしょう。

 抗がん剤の副作用のひどさは脱毛のような目に見えることばかりではなく、体の内部に起こる事こそ恐ろしいものです。
 抗がん剤終了後3年経った今でも手はしびれ、思うように動かせないもどかしさに苦しんでいます。

 抗がん剤の奏効率は25%程度、こんな奏功率では他の病気なら薬として認可されないレベルです。

奏功とは?
  
 ブログをはじめて本当に楽しかったです。ガンにならなければブログもすることはなかったし、ブログという存在さえ知らなかったと思います。

 ガンに罹ったことはラッキーだったとさえ思っています。
 ガンに罹ってなぜか明るくなる人間は私だけではないようです。

 くうみんが読んだ本の中にもこんなことが書いてありました。

 ガンの告知を受けて、余命を告げられた人は、まずはうつ状態になります。(略)寝ても覚めても死ぬことばかり考えています。この状態が約6週間続くとされてます。

 そしてこのうつ状態の後には2つの方向に分かれていきます。ひとつは逃避、ひとつは攻撃です。逃避の方向に行ってしまうと、その行き着く先には自殺がある。(略)

 攻撃というのは自分が癌であることを強く主張することです。(略)雑誌に逐一病状の変化を書いてみたりする、あるいは同じような状況の人と積極的にコンタクトを取ったりする。それまで考えられなかったような積極性が出てくるとされています。

 どちらにしても死への恐怖は人格を変えてしまうほどに大きなものなのでしょう。


 (リンパを流すと健康になる 大橋俊夫先生著)

 くうみんはガンにかかる前はおどおどした人間でした。暗いと言われていました。自分でも明るくなったと思っています。
 これはなくしてしまうと思ったちちを、そのまま残せた嬉しさからだと自分では思っています。

 ガン関連の本は手当り次第読みました。その中に、ご主人の浮気を知って悶絶死したという女性の話が載っていました。

 ガンに罹ってその女性は暗~くなってしまいました。ご主人は仕事から疲れて帰っても、暗~い妻の相手をしなければならず、つい浮気に走ってしまったのです。
 それを知った女性は悶絶死、その恐ろしい死に顔と言ったらなかったと。

「おじさん!お医者さんが書いた本に載ってたんだけどね、奥さんががんになって、暗~くなっちゃたんだって。そしたらご主人の方がやってられなくなって、浮気したんだって。
 それが奥さんにバレて、もう奥さん、それで悶絶死して、その死に顔の恐ろしいことと言ったら…なんだって!
 あたしはどうかなあ?!暗くはないと思うんだけど。ガハハハ~!」

 ご飯を食べながら、苦笑いするおじさんでありました。

 さて、次なるステップって、何を考えているの?
 いや~、恥ずかしいなあ!また明日!

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浅草寺へ先祖供養に行ったこと そしてお知らせがあります

 浅草寺は観音様がいらっしゃるので先祖供養に定評があるそうな。

 11月4日は父の命日だ。今まで何もしていなかったので、少しは供養をしようと行ってみた。命日に行くのがベストだけれど、日曜日は混むだろうと前倒しで平日に行ってきた。
 
 受付で家ごとの苗字を書いて申し込む。おじさんの父方、母方、くうみんの父方、母方、そして母の再婚相手である継父の苗字。くうみんはこの家の養女という身分でもある。血のつながりはないがこれも何かの縁というものだろう。

 仏様の前でお坊さんが来るのを待つ。そのうちにお坊さんが3人やってきて、お経を読み始める。
 葬式なんかで聞くゆっくりしたお経ではなく、アップテンポなお経だ。傍らで叩く太鼓の音もまるでパーカッションのようで音楽のように美しく、厳かだ。

 以前テレビで、夕日の中にコーランが流れる映像があった。朗々と鳴り響くコーラン…
「アッラーフアクバル!アッラーフアクバル!アッラーフアクバル!」
 アッラーは偉大なり。
 それと負けず劣らず美しい。

 宗教は人々に聞いてもらえるよう、楽しく学んでもらえるよう、音楽や踊りで工夫したというのは本当なんだろうなあ。

 今まで何もしなくてごめんなさい。ささやかですが、ご供養いたします。安らかにお休みいただくことができますように。
 手を合わせて静かに祈る。なんとなく涙が溢れてくる。

 お経を読み終わると、お坊さんたちは静かに後ろのほうへ下がっていった。その姿にも手を合わせる。

 ご本尊の前に紙を貼り付けた掲示板のようなものがある。よく見るとおじさんとくうみんが供養を頼んだ苗字だ。
「おじさん、あそこにうちの頼んだ苗字が書いてある紙が貼ってあるよ」
「どこだよ、わからない」
「ほら、あそこあそこ」
「ないよ、そんなの」

 そのうちその掲示板を若いお坊さんが端に持ってきた。その前に行く。
「ほら、ここにあるじゃない」
「本当だ」

 うち関連の苗字の書かれた紙を写真に撮った。おじさんが言った。
「なんかいいことした気がする」
「おじさんのお父さんも、おじさんからこんなものが送られたって喜んでるよ」
 くうみんの先祖も喜んでくれただろうか?

 くうみん父はろくでもない男だったけれど、最後は他の誰でもない、くうみんを頼ってきた。墓はくうみんの家近くの納骨堂で、ランニングのついでにお参りできる。だからそれでいいと思っていたけれど。

 父は親戚にも随分と迷惑をかけたらしい。そんな訳で、あの世で肩身の狭い思いをしているとしたら、今日のご供養で少しは父をお許しいただけたら、と思う。

 家に帰って、仏壇代わりのタンスの上で、線香をつける。
「今日は喜んでくれましたか?」
 いつもと違う今日のくうみん。


 さて、すみません。お知らせがあります。
 くうみんブログ、無期休暇を取らせていただきます。shougyoku師の爆弾コメントで気づいた方もいらっしゃるかと存じます。

shougyokuさんの爆弾コメント 10月26日ブログのコメント

くうみんさんメール読みました!
完全休止になるのですね?とても寂しい限りです
新たな夢に向かって、羽ばたかれるのなら、成功できる事を祈り、陰ながら応援しますね!
又、 折角お友達の御縁が深まったのですから、
照玉を忘れないでくださいね!浅草じゃなくても
お声をかけて下さいませ、いつまでもお元気で、
良い作品を期待しておりますから、さよならは
言いません。おじさんに宜しくお伝えくださいませ。。。 (November 6, 2012 10:57:34 PM)

 今まで長くお休みしていたので、アクセスは150前後でしたが、このコメントのおかげかわかりませんが、7日のアクセスは264にまでなりました。

 shougyoku師、こんな時くらい自分で発表したかったのに…そのための個人メールなのに…ドジ霊能力者shougyoku師…

 お知らせは明日に続く…
 

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健康保険の話 そして少し医療保険の話

 ブロ知り合いのやまんばやさんが医療保険を解約したそうです。
「将来の不安より今を楽しみたい」
 くうみんみたいなことを言ってくれてます!

 皆さんも加入していると思いますが、日本は国民皆保険と言って、健康保険に入ることを義務付けられています。

 医療保険って、そんなに必要でしょうか?健康保険はかなりの優れものです。保険の範囲内の医療に限りますが、かなりの給付があります。
 
 その中に高額療養費制度というのがあります。一般の年収の人が、ひと月の医療費の自己負担額がおよそ8万100円を超えた場合、払い戻しの対象になります。
 多数該当といってその状態が一年で4ヶ月以上あると、4ヶ月目からは4万4千400円を超えるとその超えた分が払い戻しされます。

 入院の時は自分の加入している保険組合で、「限度額認定証」をもらってきてください。これがない場合はあとから返してくれることになりますが、あれば、支払いの時に限度額だけ払えばいいのです。
 
 最近は入院だけでなく通院でもこの制度ができたらしいので、自分の加入している保険組合に問い合せてください。
 例えばハーセプチンなど、高額な抗がん剤を使う場合には対象になるでしょう。

 簡単なことを難しく解説しているホームページばかりですが、これなんかどうでしょう?

高額療養費の計算

 その他、海外で病気やケガをした時も、海外旅行保険だけでなく、健康保険からも「この病気や怪我を国内で治すといくらになるか」ということを基準にして払い戻しを受けることができます。これも専用のフォームがあるので、健康保険組合にお問い合わせを。

 海外でお医者さんにかかったら、まず健康保険に申請し、領収証はすぐ使いたいから、今返して欲しい、と言えば「原本確認」の手続きをしてくれます。それから海外旅行保険で、その領収証を使いましょう。2重に請求できます。

 健康保険の手続きは大きな声では言えませんが、書類が完全でなくても、出してくれるゆるいところもあるので、ぜひ粘るように。

 くうみんは医療保険はどうしているかというと、県民共済だけ入っています。

 ひと月一人2千円ですが、毎年割戻金が5千円ちょっとあります。これで入院の時も、一日あたり5千円もらって、ランニングや、重いものを持って足腰痛めた時も通院一日につき千円もらえます。
 ただし、何日以上の通院入院に限る、という制約はありますが、これで十分だと思っています。

 3年前に86歳で肺がんで亡くなった父について言えば、決して多いと言えない年金暮らしなのに、毎月2万5千円ほどをがん保険に支払っていました。

 何年くらい払っていたのか知りませんが、加入には年齢制限もあるので、少なくとも5年はかけていたと思われます。5年間かけていたとして、少なくとも150万円の出費です。

 肺がんにかかって入院…しかしその時はもう末期も末期、抗がん剤も使えない状態でした。 金銭的にはしようと思えば出来たんだろうけど、苦しいだけのことはさせたくない。無駄なことです。

 そしてそんな大枚はたてもらった保険金は85万とんで320円。コスパ悪すぎ…
 

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お久です。いろいろあった4年前の11月のこと

 4年前の今頃、くうみんは再手術勧告を受けました。
「思いのほかガンは広がっている。断端はすべて強陽性、乳頭も皮膚も残せない」
「脈管侵襲が極めて高度なので再発したら炎症性の乳がんになる可能性が高い。その時はもう手がつけられない」

 主治医は言うとおりにしないと責任が持てない、主治医を降りる、とまで言いました。病期こそ2bでしたが、主治医の口ぶりからは3期に匹敵するような再発率だったようです。

 当時でも乳腺だけを取り除いて乳頭や皮膚などウワモノを残し、その中にバッグを入れるという「乳腺全摘術」というのがあったのですが、皮膚の方にも癌が回っていて、それも出来ないということでした。

img010全部×の図.jpg
 うわっ、全部×だ!ひどいもんだね~


img011 巨大な脈管侵襲.jpg
 tremendous lymphatic permeation 恐ろしい程の、巨大な、すさまじいリンパ浸潤、だって


img011断端強陽性.jpg
 オホホ、断端不明なんて笑わせてくれる


 全摘は絶対に嫌でした。某掲示板にも相談しました。
「全摘はしたくない。今後の治療を断りたい」
 それに対する返事は皆冷ややかなものでした。
「今ではいくらでも再建が出来るのに、あなたってバカね」
 そんな答えがほぼ100%でした。

 どうにか再手術しないで済む方法はないか?頭が痛くなるくらい勉強しました。
 ネット検索や図書館通いで、実用書、専門書まで読み漁りましたが、この病気の状態で、手術せずに済む方法なんてどこにも書いてありません。すべての意見は全摘の再手術の上抗がん剤、放射線。
 セカンドオピニオン、サードオピニオンも同じ意見でした。

「おじさん、私はどうなるの?」
 心細くて、どうにもならないことをおじさんに聞きました。
「誰にもわからないんだよ」
 おじさんは答えました。

 くうみんはこの頃まだまだ弱い芦でした。

 その時は現代医学を信じていましたので、全摘した方が生存率は高いと思っていました。後からそうではないと判りましたが。

「命とちちとどちらが大事?命でしょう?」
 そんな風に自分の考えを矯めていくようになりました。
「仕方ない、全摘の上一日も早い再建を目指そう」

 4年前は北京オリンピックの年でした。パラリンピックも開催されます。
 障害があっても鍛え抜いた彼らの体は美しい。車椅子の選手の上半身の筋肉は彫刻のようだし、重い障害を持ったボッチャの選手の真剣な眼差しは、ドキっとするほどセクシーです。

 かっこいいなあ。私は全摘の再手術をしたら、どうしよう?スーパー銭湯の風呂に浸かってオバたちの裸を見るともなしに見ながら考えました。

「あんなみっともない体ぶら下げた五体満足のおばより、片乳なくした私の方がかっこいいわい。そうだ、ボディビルに転向しよう。全摘した胸もこのままで大会に出てやる!みんなに見せつけてやる!」

そこまで決心したのに…
 
 主治医がなぜか、
「このまま放射線ということにしましょう」
と言ってくれたので、再手術はせず、そのまま放射線、今日に至っています。

 言う通りにしないと主治医を降りるとまで言ったのに、なんでこんなに態度を変えたのか、不思議でした。
 くうみんは主治医にはっきりと嫌だといった訳ではありません。ただ、全身に
「全摘は嫌だ!」
 というオーラが充満していたと思います。だから
「そこまで嫌なら…」
という事だったのではないかと推測しています。

 この時は医者にはっきり「嫌だ」と言えるほど強くはありませんでした。ただ、怖くて押し黙っていたのが、強情に見えたのでしょうね。 

 再建も、くうみんのように放射線を当てた後で再建するには、お腹の皮膚を移植する方法が選択されます。
 これも手術例の写真を見るとあまり自然には思えませんでした。その上感覚もなくなります。しょせん本物にはかなわないのです。

 その後の診察のたび、黄緑色の倍角文字で
「局所再発の可能性が極めて高い」
 とパソコン画面に書かれているのを見ました。

 しかし、ホルモン剤も1年半前にやめましたが、4年経った今でも再発なんかしていません。
 もっとも検査もしていないから、再発したかどうかはわかりませんが。

 でも、手術しなくても再発していない、この事実は医者の言うことなんて当てにならないということの証明ではありませんか?

 だから手術する、しないを決定するのは医者でなく、患者であるべきです。

 私、元気です。お蔭様でフルマラソンもサブフォーに復帰できたし、黙っていれば全くの健康体です。
「体調はどうですか?」
「治ってよかったね」
 人はそう言いますが、体調は悪いです。大きな動きはできます。しかし細かい動きができません。

 治って良かった?ガンですか?それとも抗がん剤、ホルモン剤の副作用ですか?

 ガン由来の痛さ、苦しさは今まで一度も感じておりません。あるとすれば、抗がん剤、ホルモン剤の副作用の苦しみです。

 指先でする細かい仕事は未だにうまく出来ません。
 先日久しぶりに針仕事をしました。ぞうきんを縫うようなことですが、手指が思うように動きませんでした。
 末梢神経を傷つけるというパクリタキセルのせいか、ホルモン剤の影響かは不明です。両方の影響かもしれません。

 小学生の頃、小児まひの後遺症で体の不自由な子がいました。その子の手指は猫の手のように曲げられ、動きも力が入りすぎているような、それでいて物をつかめないというような変な動きをしていました。それと同じだったので愕然としました。

 今ある機能を大切に、失ったものを数え上げるのはいけない…そう言いますが、これから抗がん剤を受けるかもしれない方々には、こういったことを考慮に入れてから受けて欲しいのです。

 手術は拒否できた。けれどもくうみんは抗がん剤がこんなにひどいものだとは知りませんでしたね。


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Author:ひねくれくうみん
 年齢一億歳。
 
 病んだ乳を抱えて今を生きる。また走り始めた。涙を流しながら。

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