くうみんの父入院 そして死
九塞溝旅行から帰って1月半くらいたった夕方のことです。買い物から帰ると、留守電ランプがピコピコ点滅しています。プチッと押すと、
「くうみん、わしだ!お父さんだ!今から入院するぅ!」
一人暮らしをしている父です。今は月一回くらい様子を見に行っていますが先月行った時はそんなに変わった様子もありませんでした。すき焼き、ステーキが好きなので行くといつもすき焼きを一緒に食べ、ステーキ用の肉を冷凍庫に放り込んでいきます。
今は介護保険でヘルパーさんに頼めば掃除、洗濯はもちろん、料理もしてもらえるので安心です。
それにしてもどこに入院するとも言わないし、もう夕方なのでそのまま再度の連絡を待つことにしました。
翌日の昼過ぎ、妹から電話がかかってきて、
「くうみん大変。じいさんが肺癌だって」
へ?くうみんの乳癌を知らせたときは若いのにかわいそうに…と言っていたのに世の中わからないものです。順当と言えば順当ですが。
妹によると、もう抗癌剤もできないほどの末期だと言うことで、どうするか医者と話をすることになった。一緒に来て欲しい、とのことでした。
とりあえずまだうら寂しい頭部にバンダナを巻いて入院先に駆けつけました。病院の話では妹が
「姉も癌に侵されていて気が弱くなっているので私が話を聞く」
と言ったそうなので、妹の到着を待ちました。
「くうみん!」
妹です。
「マキロン、あなたじゃないと話はできないそうよ」
「あたしもう嫌!くうみん話聞いてよ」
あまりにひどい容態なので聞いていられない、と言うのです。
「わかった」
くうみんは看護師さんに私が話を聞きます、と伝えました。
「お姉さんは病気でしょう?話を聞いて、体に障りませんか?」
「大した病気じゃないから大丈夫です」
もう先方はくうみんが癌だと知っています。癌患者のど根性を侮ってはいけません。自分の死を覚悟した人間がどうして親の死を悲しみましょう。むしろ、間に合って良かった、というのが実感でした。
自分が親を見送ることができる…そう思いました。
先生は、持って2週間くらい、短ければ2,3日、と言いました。
「苦しまなければいいです。食事もなるべく摂らせて下さい。酸素も嫌がるようならしないでください。それによって死期が早まっても構いません」
「わかりました」
本人に告知はしないことにします。今さら告知した所でどうにもならないからです。酸素もマスクでなく管を鼻につける形のものにしてもらいました。
「お父さん、良くなってるって。酸素もこれなら、楽よ」
「ここに来て飲まず食わずになってまいったよ。何とか言ってくれ」
「先生に食事を出すように頼んだから、大丈夫だよ」
その時は比較的元気だったので食事も当日から出るようになりました。しかし、二、三日もたたないうちに容態が悪くなり、また絶飲食になりました。
父の病室に行くと父は更にヨレヨレでした。
「うぅ、水、水をくれ」
「わかった。水でも酒でも飲ませてやる。とりあえず水ね。ちょっと待って」
割り箸に脱脂綿を巻きつけて、コップの水を含ませて飲ませました。
「あなた何やっているんですか?!」
いつの間にか看護師が後ろにいました。
「水飲ませているんです。もういいんです」
くうみんはきっと看護師を見ました。もうどの道死ぬ人間に悪いもへったくれもあるものか。
それからなぜか「絶飲食」の張り紙がなくなり、「水のみ可」に変わりました。
入院8日目、くうみんの父は静かに息を引き取りました。妹と駆けつけたときはもうすでに亡くなっていましたが手を触るとまだ暖かでした。マイペースなやつでした。
そう、ここまではきれいごと。マイペース過ぎる父は死んだあとでもくうみん達を翻弄します。こら~!!このくそじじい!!
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「くうみん、わしだ!お父さんだ!今から入院するぅ!」
一人暮らしをしている父です。今は月一回くらい様子を見に行っていますが先月行った時はそんなに変わった様子もありませんでした。すき焼き、ステーキが好きなので行くといつもすき焼きを一緒に食べ、ステーキ用の肉を冷凍庫に放り込んでいきます。
今は介護保険でヘルパーさんに頼めば掃除、洗濯はもちろん、料理もしてもらえるので安心です。
それにしてもどこに入院するとも言わないし、もう夕方なのでそのまま再度の連絡を待つことにしました。
翌日の昼過ぎ、妹から電話がかかってきて、
「くうみん大変。じいさんが肺癌だって」
へ?くうみんの乳癌を知らせたときは若いのにかわいそうに…と言っていたのに世の中わからないものです。順当と言えば順当ですが。
妹によると、もう抗癌剤もできないほどの末期だと言うことで、どうするか医者と話をすることになった。一緒に来て欲しい、とのことでした。
とりあえずまだうら寂しい頭部にバンダナを巻いて入院先に駆けつけました。病院の話では妹が
「姉も癌に侵されていて気が弱くなっているので私が話を聞く」
と言ったそうなので、妹の到着を待ちました。
「くうみん!」
妹です。
「マキロン、あなたじゃないと話はできないそうよ」
「あたしもう嫌!くうみん話聞いてよ」
あまりにひどい容態なので聞いていられない、と言うのです。
「わかった」
くうみんは看護師さんに私が話を聞きます、と伝えました。
「お姉さんは病気でしょう?話を聞いて、体に障りませんか?」
「大した病気じゃないから大丈夫です」
もう先方はくうみんが癌だと知っています。癌患者のど根性を侮ってはいけません。自分の死を覚悟した人間がどうして親の死を悲しみましょう。むしろ、間に合って良かった、というのが実感でした。
自分が親を見送ることができる…そう思いました。
先生は、持って2週間くらい、短ければ2,3日、と言いました。
「苦しまなければいいです。食事もなるべく摂らせて下さい。酸素も嫌がるようならしないでください。それによって死期が早まっても構いません」
「わかりました」
本人に告知はしないことにします。今さら告知した所でどうにもならないからです。酸素もマスクでなく管を鼻につける形のものにしてもらいました。
「お父さん、良くなってるって。酸素もこれなら、楽よ」
「ここに来て飲まず食わずになってまいったよ。何とか言ってくれ」
「先生に食事を出すように頼んだから、大丈夫だよ」
その時は比較的元気だったので食事も当日から出るようになりました。しかし、二、三日もたたないうちに容態が悪くなり、また絶飲食になりました。
父の病室に行くと父は更にヨレヨレでした。
「うぅ、水、水をくれ」
「わかった。水でも酒でも飲ませてやる。とりあえず水ね。ちょっと待って」
割り箸に脱脂綿を巻きつけて、コップの水を含ませて飲ませました。
「あなた何やっているんですか?!」
いつの間にか看護師が後ろにいました。
「水飲ませているんです。もういいんです」
くうみんはきっと看護師を見ました。もうどの道死ぬ人間に悪いもへったくれもあるものか。
それからなぜか「絶飲食」の張り紙がなくなり、「水のみ可」に変わりました。
入院8日目、くうみんの父は静かに息を引き取りました。妹と駆けつけたときはもうすでに亡くなっていましたが手を触るとまだ暖かでした。マイペースなやつでした。
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