武家の躾 男はつらいよ
今からおよそ100年くらい前の大正時代は、商人が一番景気が良かったそうだ。士農工商の身分制度がまだ濃厚な時代だったので、商人たちはブランド嫁を貰いたがった。
おじさんのじいちゃんに当たる人も商売をしている家に生まれたのでお金持ちだったそうだ。もっとも、この時代のよくあることでおじさんの家はその後、没落したらしいが。
そのお金持ちのボンであるじいちゃんの所へ、武家の娘たるばあちゃんが嫁いできた。
「うちの嫁は武家出身だぞ!」
てな所だろう。
ちなみに偶然にもくうみんのじいちゃんも商人だった。武家ブランドではなく美人ブランドを選んだ。年の離れた美人妻…しかしその後、この家も没落したのだった。
おじさんのお姉さん達と会うと、おじさんの話もするが、おじさんの家の人々の話もする。先日、河津桜を見に行ったときに聞いた話。
ばあちゃんは、孫たちによくお手伝いを命じたそうだ。特に草むしり。しかし、草むしりが終わると、「次はこれ」と、別の用事を言いつけられて、お手伝いをするときはほとんどエンドレスだったという。
「あたしたちは草むしりは10代後半くらいになったら免除されたのよね」
ばあちゃん曰く、年頃の女の子は、手肌を荒らしてはいけない。だから草むしりはしなくていい、と。
女ではないおじさんは、草むしりを免除されることなく、その後も手伝わされたそうだ。
「へ~、働き者であるだけじゃなくて、身ぎれいにしなくてはいけないんですね」
「そうなのよ」
くうみんも、ばあちゃんに初めて会った時の印象は、
「きれいなおばあちゃん」
という印象だった。顔立ちもそうだが、着ている物にも隙がない。清潔できちんと整っていた。おじさんにそういうと、
「そうか?」
と、別にあんなの普通じゃないか?という風だった。しかし、おじさんも「きれいなばあちゃん」と言うのが分かるときが来た。
ばあちゃんが入院した時だった。お見舞いに行ったおじさんは、目をまん丸くしていった。
「普通の年寄りって言うのはグチャグチャ~ッとして汚いんだなあ。お前がうちのばあちゃんをきれいなばあちゃんだって言ったのがわかったよ」
そう、女は働き者であるだけでなく、美しくあらねばという姿勢であった。
そして男は…
おじさんはあい変わらず草むしりをさせられていたが、そのうち実家を出て、くうみんと結婚。
くうみんの感覚では、おじさんの家の家風は、かなり古いと思った。
昔は男尊女卑と言うが、これがおじさんの家では結構微妙であった。
男と女ではどちらが偉いかというと、おじさんの家では当然、家長である男子が偉いのであるが、男はつらいのであった。
魚は頭の方と、しっぽでは頭の方がおいしいというのは知っていますよね?
それをおじさんの家でどう分けていたかというと、おいしい頭の方はお姉さん達、あまりおいしくないしっぽの方はおじさんにあてがわれていたのだった。
「男の子は”跡取り”だから、後ろの方でいいんです」
と、お母さんがおっしゃっておられた。
つまり、男は家族を大切にしなければいけない。家族をまず優先しなければならないというしつけをしていたと思われる。
昔、飢饉になると、壮年の男性からバタバタと倒れて行き、女と子供が残ったというが、これは女子供が逞しかったからではなくて、男性が家族を優先する習慣が身についていたからではないだろうか?
大地震になって、家族の分まで配給のおにぎりを食べてしまったお父さんの話を聞くが、偉いというのは本当は大変なことなのだ。
家長は偉いから優先されるのではなく、家長は家族をまず優先させるから偉いのだ。
それにしちゃ、おじさんは結婚してから何もしなかった。
料理はそもそもできないし、家事と言うものは全くしなかった。まあ、それも仕方ない理由があった。
おじさんは結婚した時は、まだ税理士試験に通っていなかったから、毎日勉強していた。勉強せずに手伝えって言うのもなんだかな。
そう言えば、おじさんが独立した時は、洗濯だけはしてくれるようになったっけ。くうみんはその頃まだ働いていたから、「これくらいはやるよ」って。
くうみんが仕事をやめたら、家事は全部くうみんがするようになって、おじさんには尽くすことが多かったと思う。
甘やかし過ぎという意見もあったけど、こうなった今となっては、まだまだしてあげられなかったことの方が多いと思っている。
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おじさんのじいちゃんに当たる人も商売をしている家に生まれたのでお金持ちだったそうだ。もっとも、この時代のよくあることでおじさんの家はその後、没落したらしいが。
そのお金持ちのボンであるじいちゃんの所へ、武家の娘たるばあちゃんが嫁いできた。
「うちの嫁は武家出身だぞ!」
てな所だろう。
ちなみに偶然にもくうみんのじいちゃんも商人だった。武家ブランドではなく美人ブランドを選んだ。年の離れた美人妻…しかしその後、この家も没落したのだった。
おじさんのお姉さん達と会うと、おじさんの話もするが、おじさんの家の人々の話もする。先日、河津桜を見に行ったときに聞いた話。
ばあちゃんは、孫たちによくお手伝いを命じたそうだ。特に草むしり。しかし、草むしりが終わると、「次はこれ」と、別の用事を言いつけられて、お手伝いをするときはほとんどエンドレスだったという。
「あたしたちは草むしりは10代後半くらいになったら免除されたのよね」
ばあちゃん曰く、年頃の女の子は、手肌を荒らしてはいけない。だから草むしりはしなくていい、と。
女ではないおじさんは、草むしりを免除されることなく、その後も手伝わされたそうだ。
「へ~、働き者であるだけじゃなくて、身ぎれいにしなくてはいけないんですね」
「そうなのよ」
くうみんも、ばあちゃんに初めて会った時の印象は、
「きれいなおばあちゃん」
という印象だった。顔立ちもそうだが、着ている物にも隙がない。清潔できちんと整っていた。おじさんにそういうと、
「そうか?」
と、別にあんなの普通じゃないか?という風だった。しかし、おじさんも「きれいなばあちゃん」と言うのが分かるときが来た。
ばあちゃんが入院した時だった。お見舞いに行ったおじさんは、目をまん丸くしていった。
「普通の年寄りって言うのはグチャグチャ~ッとして汚いんだなあ。お前がうちのばあちゃんをきれいなばあちゃんだって言ったのがわかったよ」
そう、女は働き者であるだけでなく、美しくあらねばという姿勢であった。
そして男は…
おじさんはあい変わらず草むしりをさせられていたが、そのうち実家を出て、くうみんと結婚。
くうみんの感覚では、おじさんの家の家風は、かなり古いと思った。
昔は男尊女卑と言うが、これがおじさんの家では結構微妙であった。
男と女ではどちらが偉いかというと、おじさんの家では当然、家長である男子が偉いのであるが、男はつらいのであった。
魚は頭の方と、しっぽでは頭の方がおいしいというのは知っていますよね?
それをおじさんの家でどう分けていたかというと、おいしい頭の方はお姉さん達、あまりおいしくないしっぽの方はおじさんにあてがわれていたのだった。
「男の子は”跡取り”だから、後ろの方でいいんです」
と、お母さんがおっしゃっておられた。
つまり、男は家族を大切にしなければいけない。家族をまず優先しなければならないというしつけをしていたと思われる。
昔、飢饉になると、壮年の男性からバタバタと倒れて行き、女と子供が残ったというが、これは女子供が逞しかったからではなくて、男性が家族を優先する習慣が身についていたからではないだろうか?
大地震になって、家族の分まで配給のおにぎりを食べてしまったお父さんの話を聞くが、偉いというのは本当は大変なことなのだ。
家長は偉いから優先されるのではなく、家長は家族をまず優先させるから偉いのだ。
それにしちゃ、おじさんは結婚してから何もしなかった。
料理はそもそもできないし、家事と言うものは全くしなかった。まあ、それも仕方ない理由があった。
おじさんは結婚した時は、まだ税理士試験に通っていなかったから、毎日勉強していた。勉強せずに手伝えって言うのもなんだかな。
そう言えば、おじさんが独立した時は、洗濯だけはしてくれるようになったっけ。くうみんはその頃まだ働いていたから、「これくらいはやるよ」って。
くうみんが仕事をやめたら、家事は全部くうみんがするようになって、おじさんには尽くすことが多かったと思う。
甘やかし過ぎという意見もあったけど、こうなった今となっては、まだまだしてあげられなかったことの方が多いと思っている。
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