封筒おじさんが来た
窓口にはいろいろな人が来る。
健保の窓口なんてそんなに来るところではないものだが、中には毎日のようにやって来ては置いてある小冊子を持って行ったり、職員の手を煩わせるようなことをする人が一人いた。
ニックネームは「封筒おじさん」。60代半ばと思われる男性だ。
健保の部屋に来ては置いてある小冊子を何冊か持ち帰る。それだけではなく、つえをわざと床に転がして、
「拾ってくれ」
と言ったり、手にした小冊子を「カバンの中に入れてくれ」
とか言う。
そのおやぢの足元にあるカバンにひざまずくようにしてカバンに入れるのはかなり屈辱的なことだったが、皆仕方なく言う通りにしていた。
おまけにこうも言う。
「封筒をくれ」
民間の企業だったら、
「お宅の封筒が欲しい」
と言われたら、はいそうですかと出すだろうか?市役所だから断れないと思って、このおやぢはやっているに違いない。
このおやぢは他の窓口では封筒をくれだのなんだのは言わない。健保の係は女性ばかりなので言いやすいんだろうと上司が言っていた。
「私、お昼に見たんだけど、あの人、ジョナサンでウエイトレスに靴下を脱がせてくれって言って脱がせてもらっていたわよ」
そんな話もあった。間違いない。人の嫌がることを命令して喜んでいるんだ。
そのおやぢに封筒をあげないことにしようと言うことになった。上司が言った。
「欲しいと言われたら、使用済みの封筒ね。人手に渡っても差し支えないようなやつ」
今か今かと待っているとなかなか来ないものだ。しかしついに決戦の時が来たのだった。
そのおやぢが来た。
「すみません、すみません」
みんなの間に緊張が走った。
「あたしが行く」
低い声でくうみんは言うと、そのおやぢの所に行ってニッコリ笑顔で
「はい、何でしょうか?」
と尋ねた。
「封筒をください」
「はい」
そう言ってくうみんは使い古しの封筒を出した。国保連の当たり障りのない封筒だ。
「えっと、これじゃなくて新しいのがいいんですけど」
「すみません。これは市民の皆さんから預っているものです。差し上げる訳には行きません」
おやぢは意外そうな顔をしてカウンターから離れて、椅子に座った。
しばらくして、
「すみませ~ん、すみませ~ん」
と言うおやぢの声がした。行ってみるとおやぢの杖が床に転がっている。
「拾ってください」
くうみんは無言で杖を拾った。おやぢは笑いを顔に浮かべている。
嫌な笑いだ。人をバカにして喜んでいる笑い。つえをおやぢに手渡すと、今度は足元のカバンを指さして、
「これをカバンの中に入れてください」
と、ニヤニヤしながら手にした小冊子を差し出した。
くうみんは言った。
「できません。壊れたり、なくなったものがあったりすると困るからです。ご自分でなさってください」
おやぢはあっけにとられたような顔をした。おそらく初めて断られたのだろう。
市役所の職員は波風立たないのを良しとしているので、いいにつけ悪いにつけ無難に済まそうとする。この場合も断らずにカバンに詰めれば無難なのだろう。
くうみんはパート仲間では最年長に近かったが、貫禄がないので若い職員にもいぢられていた。
「くうみんさん、初めて頼りになると思ったわ!」
若いパート仲間に言われた。
何を言うか。今まで君達が勘違いしていただけだ。今も昔もくうみんは頼りになる女だぜ。
彼はどうしているだろう。
数年前に無料確定申告会場で、
「体が不自由で字が書けない」
と、指導の税理士に書いてもらった年輩の男がいたと言う。
その税理士に、頼んだと言う。
「自動販売機に行ってジュースを買ってきてくれ」
それは断ったと。
私は彼だと確信している。
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健保の窓口なんてそんなに来るところではないものだが、中には毎日のようにやって来ては置いてある小冊子を持って行ったり、職員の手を煩わせるようなことをする人が一人いた。
ニックネームは「封筒おじさん」。60代半ばと思われる男性だ。
健保の部屋に来ては置いてある小冊子を何冊か持ち帰る。それだけではなく、つえをわざと床に転がして、
「拾ってくれ」
と言ったり、手にした小冊子を「カバンの中に入れてくれ」
とか言う。
そのおやぢの足元にあるカバンにひざまずくようにしてカバンに入れるのはかなり屈辱的なことだったが、皆仕方なく言う通りにしていた。
おまけにこうも言う。
「封筒をくれ」
民間の企業だったら、
「お宅の封筒が欲しい」
と言われたら、はいそうですかと出すだろうか?市役所だから断れないと思って、このおやぢはやっているに違いない。
このおやぢは他の窓口では封筒をくれだのなんだのは言わない。健保の係は女性ばかりなので言いやすいんだろうと上司が言っていた。
「私、お昼に見たんだけど、あの人、ジョナサンでウエイトレスに靴下を脱がせてくれって言って脱がせてもらっていたわよ」
そんな話もあった。間違いない。人の嫌がることを命令して喜んでいるんだ。
そのおやぢに封筒をあげないことにしようと言うことになった。上司が言った。
「欲しいと言われたら、使用済みの封筒ね。人手に渡っても差し支えないようなやつ」
今か今かと待っているとなかなか来ないものだ。しかしついに決戦の時が来たのだった。
そのおやぢが来た。
「すみません、すみません」
みんなの間に緊張が走った。
「あたしが行く」
低い声でくうみんは言うと、そのおやぢの所に行ってニッコリ笑顔で
「はい、何でしょうか?」
と尋ねた。
「封筒をください」
「はい」
そう言ってくうみんは使い古しの封筒を出した。国保連の当たり障りのない封筒だ。
「えっと、これじゃなくて新しいのがいいんですけど」
「すみません。これは市民の皆さんから預っているものです。差し上げる訳には行きません」
おやぢは意外そうな顔をしてカウンターから離れて、椅子に座った。
しばらくして、
「すみませ~ん、すみませ~ん」
と言うおやぢの声がした。行ってみるとおやぢの杖が床に転がっている。
「拾ってください」
くうみんは無言で杖を拾った。おやぢは笑いを顔に浮かべている。
嫌な笑いだ。人をバカにして喜んでいる笑い。つえをおやぢに手渡すと、今度は足元のカバンを指さして、
「これをカバンの中に入れてください」
と、ニヤニヤしながら手にした小冊子を差し出した。
くうみんは言った。
「できません。壊れたり、なくなったものがあったりすると困るからです。ご自分でなさってください」
おやぢはあっけにとられたような顔をした。おそらく初めて断られたのだろう。
市役所の職員は波風立たないのを良しとしているので、いいにつけ悪いにつけ無難に済まそうとする。この場合も断らずにカバンに詰めれば無難なのだろう。
くうみんはパート仲間では最年長に近かったが、貫禄がないので若い職員にもいぢられていた。
「くうみんさん、初めて頼りになると思ったわ!」
若いパート仲間に言われた。
何を言うか。今まで君達が勘違いしていただけだ。今も昔もくうみんは頼りになる女だぜ。
彼はどうしているだろう。
数年前に無料確定申告会場で、
「体が不自由で字が書けない」
と、指導の税理士に書いてもらった年輩の男がいたと言う。
その税理士に、頼んだと言う。
「自動販売機に行ってジュースを買ってきてくれ」
それは断ったと。
私は彼だと確信している。
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